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今こそ、正確な情報を

2011年03月26日 12:26

東日本大震災において、被害にあわれた皆さんにお見舞いを申し上げ、犠牲になった方々のご冥福をお祈りします。

この大震災は、未だに被害の全貌が分からないのには愕然としますし、あまりにも非日常が続く現状に取り乱さないほうが可笑しいのは分かります。自分も、この間あたふたと走り回っておりましたので同類です。

おまけに、福島原発の状況は、放射線被害は目に見えないし、広島・長崎の原爆を経験している日本人には、放射能被害の重大性は、小さい頃から頭にたたき込まれていますので、冷静になれという方が無理なのかもしれません。政府などからの発表が情報不足である事も、この不安に拍車をかけているのは間違いないでしょう。

ところが、この不安につけ込んで、扇動家たちが非科学的なデマで危機を煽り始めました。
その代表格は、やはり広瀬隆氏でしょう。

「ニュースの深層3/17(木)」での出演が以下のYouTubeで公開されています。



マグニチュードを改ざん?
体内被曝は1兆倍?

などなど・・・
いやはや、デマだらけです。

ところがこういうトンデモから、反原発運動はずっと抜け出せないできた。
だからこそ、これまで十分に市民権を得られずに来ているのである。
このときに、またこんなデマ・トンデモに乗っかってたら、今回も運動を潰しちゃう事になるだろう。

今こそ、科学リテラシーを大事にした原発反対運動を盛り上げないといけない。
そのためには、広瀬隆なんて扇動家はさっさと排除して、以下のような情報をこそ学ぶべきです。

「福島原発の放射能を理解する」
チェルノブイリとの区別が付いていない人、メルトダウンと再臨界の区別が付いていない人などは必読です。

放射線は「甘く見過ぎず」「怖がりすぎず」(八代嘉美)
「適度に怖がる」というのは、本当に正しい指摘です。

原子力資料情報室(CNIC)
こちらは、やや一面的でバランスを欠くと思われる時もあるが、基本的にデマは流していない。

以上、参考まで。

陰謀論について考えるイベント

2011年01月31日 20:04

複数の友人が係わっているので、紹介しておきます。

市民社会フォーラム「911事件を考える連続イベント」

911WiKi

もはや廃れてきた例の911自作自演説を宣伝する内容のように誤解されかねませんが、むしろモチベーションは逆のイベントです。

まず、磯部先生の講演は必見です。
磯部先生は、制御解体説も含めて、WTC1/2の崩壊のメカニズムを徹底的に科学的に追求されてきた研究者です。
そして、はっきりと「制御解体」を示唆するような事実は一切無かった事を論文にも書かれている。
しかも、NISTの説では不十分だとして、独自のスプリングバック説を提唱されている。
陰謀論者が「制御解体でしかありえない」と騒いだあのツインタワーの崩壊の仕組みの解明は、今どこまで進んでいるのか?今どこに謎が残っているのか?純粋に科学の立場から報告して貰う、初めての試みです。
この日が、日本での「制御解体説」最後の日になるかもしれません。

日時 3月13日(日)14:00~16:00(13:30開場)
会場 関西学院大学・梅田キャンパス1405(14階)
http://www.kwansei.ac.jp/kg_hub/access/index.html
講師 磯部大吾郎さん
(筑波大学大学院システム情報工学研究科 構造エネルギー工学専攻准教授)
参加費 1,000円(資料代込)
主催 磯部大吾郎先生講演会実行委員会/市民社会フォーラム

その翌週のきくちvs菊池対決も、これまた画期的で必見の企画です。
日本の911陰謀論を引っ張ってきたきくちゆみ氏と、911事件の検証を求める科学者の会を作った西牟田教授のタッグに対し、kikulogで知られるきくまこさんこと、菊池誠大阪大学教授が、911陰謀説に関する討論会を行うのです。

菊池誠さんは、科学リテラシーのお話しを中心になさると思います。
結局、こうしたトンデモ陰謀説、ヒーリング、ホメオパシーなどなどを信じてしまうのは、根底には「科学リテラシー」の欠如があるからです。どうして平和活動家の多くは、そんなトンデモを信じてしまうのか?が裏のテーマになるかもしれません。

911を検証する公開討論会
―WTC3つのビル崩壊とペンタゴン攻撃を中心に―
日時 3月19日(土)13:30~16:30(13:00開場)
会場 阿倍野市民学習センター講堂
http://www.osakademanabu.com/abeno/
参加費 1,000円(資料代込)

私も参加します。
みなさんもどうぞご参加下さい。

旨い酒

2011年01月20日 22:52

今回は?息抜き。

今日、立ち寄った酒屋で久しぶりに大好きな酒に出会ったので思わず買ってしまった。

石川県は菊姫の山廃純米の無濾過生原酒だ。

kikuhime

実は菊姫には、思い出がいっぱいある。
まだ、純米酒という言葉をほとんどの人が知らなかった頃、つまり日本酒ブームが起きる前の時代、地酒に美味しい二級酒があるらしいと友人と酒屋巡りをして最初にたどり着いたのが菊姫の山廃純米酒だった。
その頃でも、一升瓶で三千円ほどしたと思う。
バイト代でそれを買い、学生寮で仲間と飲んだときの衝撃は、今でも忘れられない。
鶴来町の蔵を訪ねたこともある。

吟醸香の強い大吟醸も悪くないけど、自分はやっぱり山廃や生元造りのしっかりした琥珀色の純米系を旨い海鮮料理と合わせて飲むのが好きだ。

でも、この酒は、さらに特別。
お米は兵庫県産の山田錦。
自分の住んでいる近辺の田でも山田錦は沢山栽培されているが、植え付けも収穫も遅く、稲の背丈も高いのですぐに見分けがつく。
さらに、絞りたての無濾過生原酒だから、純米なのにアルコールは19度もあるし、生きた酵母が残っている。
飲んでみると、どっしりした味をしながらも、無濾過らしい爽やかな酵母の香りと、山廃らしいさらっとした酸味がすがすがしく残るだけで、とがったアルコール臭さは全くなく、ひたすら舌にすーっとなじんでいく。
やっぱり文句なしに旨い。

お正月に実家からくすねてきた唐墨をつまみに頂きながらこれを書いている。
こんなに気持ちの良い酔い方は久しぶり。
うーーん、やっぱり美味い酒の酔い方は違う。

旨い酒と、旨いつまみに乾杯!

今回は酔っぱらいモードでごめんなさいm(_ _)m

裁判員制度と死刑制度

2011年01月18日 15:31

昨年末は、裁判員裁判で死刑が求刑された事案が続いた。それを振り返ってみたい。

1審が終わった5件のうち、死刑回避の無期懲役が1件、求刑通り死刑が言い渡されたのは3件。そして12月10日には、鹿児島地裁で死刑求刑の被告についに無罪判決が下った。

いずれも、以前の裁判官制度であれば全て死刑判決がまず間違いなく出ていたであろう事案である。

2週間ほど前にも、「裁判員制度では、裁判員が被害者の感情に寄り添いすぎて死刑判決が増えるだろう」と述べる弁護士講師がいたので、「事実はそうなっていないし、それは、市民をバカにしすぎている。裁判員制度になれば99.9%の有罪率は維持できるはずがなく、必ず下がる。裁判員制度になったからといってえん罪はなくならないが、減るのは確実だ」と厳しく批判意見を述べたが、今回の無罪判決でもそれが証明されたと思う。

この間の死刑求刑判決を見てみると、

まず最初は、11月1日東京地裁判決。
裁判員裁判で初めて死刑を求刑された林被告に対し、「落ち度のない2人を惨殺した責任は重大だが、動機は極刑にするほど悪質ではなく、被告なりに反省している」として無期懲役とした。

2例目は、11月16日の横浜地裁判決。
男性2人を殺害したなどとして強盗殺人など9罪に問われた池田容之被告に対して、裁判員裁判では初の死刑判決を言い渡した。裁判長は「あまりにも行為の残虐性が非人間的で、最大限酌むべき事情を考慮しても極刑は免れない」と述べたが、主文言い渡し後に控訴を勧めた。ある裁判員は、判決後に「何度も涙を流した。被告には控訴して欲しい」とその苦悩を述べている。

3例目は、11月25日の仙台地裁の判決。
裁判員裁判初の少年への死刑求刑だった。
元交際相手の姉や友人ら3人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた少年(19)に対し、「犯行態様や結果の重大性から考えれば、更正可能性は著しく低い」として、求刑通り死刑を言い渡した。この裁判員の一人は「判決が正しかったかどうか、一生悩み続けると思う」と苦しい心境を語っている。

4例目は、12月7日、宮崎地裁判決。
同居する義母と妻、長男の3人を殺害したとして、殺人などの罪に問われた奥本章寛被告に対し、求刑通り死刑を言い渡した。

5例目は、12月10日、鹿児島地裁判決。
鹿児島市の高齢夫婦殺害事件で、強盗殺人と住居侵入の罪に問われ死刑を求刑された白浜被告に対し、「被告と事件を結び付ける直接的な客観的証拠はなく、犯人とは認められない」として無罪を言い渡した。裁判員裁判で死刑求刑の被告への初めての無罪判決となった。

この裁判に関わった裁判員の皆さんには、まず心からご苦労様でしたと言いたい。
いずれの裁判でも大変なご負担であっただろうことは想像に難くない。

その心労は、例えば以下の東京地裁の無期懲役判決の記事からだけでも伺い知ることができる。


「正直、しんどかった」「やればやるほど責任感みたいなものを感じた」
。判決後、会見に出席した裁判員4人と補充裁判員2人は審理を終えた感想を問われ、一様に疲れたような表情で語った。
検察側が裁判員裁判で初めて死刑を求刑した25日。女性裁判員は「あり得ると想定していたが、やっぱり動揺した」と打ち明けた。男性裁判員も「求刑自体は驚かなかったが、その後の評議は重くなっていった」と語る。
評議は1日午前まで5日間続いた。30代の別の女性裁判員は「裁判員をやることで死刑の重さを感じ『そんなに簡単に死刑にできるのだろうか』という気持ちになった」。補充裁判員を務めた男性は「いろんな話をして、死刑の選択もあり得ると気付いたし、(一方で)生きる中で何かを見つけ出すのが人間じゃないかとも思った」と揺れた心情を吐露した。もう1人の補充裁判員は「裁判員制度でこういう事件が起きないことをただ願いたいなと思った」と述べた。
1日午後3時半前、東京地裁104号法廷。裁判員や補充裁判員は全員が黒い服装で席に着いた。若園敦雄裁判長が主文を告げると、証言台の前に立っていた林被告は身じろぎもせず、何度もまばたきした。
「こんなのやだ! 納得できない!」。閉廷直後、裁判員がいなくなった法廷に、殺害された鈴木芳江さんの妹の声が響いた。「こんなことってない! 絶対ダメ、ダメ!」。抱きかかえられるように法廷を後にした。
会見に出席した6人によると、裁判員たちは極刑を求める遺族感情を目の当たりにして苦悩したという。男性補充裁判員は「遺族の身になろうと努めたことに間違いない。こういう判決になったが、遺族の方には少しでも希望を持って生活をしていってほしい」と気遣った。


議論が深まるにつれ、裁判員らは「死刑」という刑罰の真の重さを徐々に実感していったという。「人を殺せば、死刑は当然と思っていたが、裁判員を経験して、そう簡単ではないと考えるようになった」と30代の女性裁判員。評議では裁判員、補充裁判員みながすべての意見を出し切ったという。「自分の考えを、自分の胸に残すことなく言い合えた、密度の濃い時間だった」

 最終的な判断で心がけたのは、「公正な目」だったという。この30代の女性は「遺族の話を聞いたときには気持ちも高ぶり、冷静に判断できなかったが、みんなの意見を聞いて、公正に判断するようにした」。30代の会社員男性は「遺族の感情だけではなく、被告が遺族あてに書いた手紙などの証拠を総合的に判断した結果。ただ、最終的には自分の意見を大事にした」と語った。

 極刑は回避したものの、判決の結びは被告に「人生の最後の瞬間」まで、生涯をかけて反省と償いを迫るメッセージとなった。「なぜ事件を起こしてしまったのか、苦しみながら考え抜いて



裁判員制度に反対する立場から、「裁判員制度になったら死刑が増える。被害者感情に寄り添いすぎて、公正な判断は期待できない。」という意見が多数あった。私も、もしかしたらそうなるかもしれないと頭の片隅では懸念しつつも、「いや、そんなことにはならないはずだ。市民がそんなに軽々に死刑判決を出すはずがない。」と信じていた。

遺族がこの判決に満足できないのもまた想像に難くない。しかし、今の怒りと報復の感情で包み込まれている家族の心情に流されすぎれば、公正な判決が下せるはずがない事も大事な点だ。裁判は、報復の場ではないからだ。

だからこそ、遺族が強く極刑を求め、その怒り・悲しみを正面から受け止めた上で、なお「公正」であろうと努めた裁判員の皆さんには、心からの敬意を送りたい。遺族もまた、この判決で良かったと思える日が来ることを願わずにはいられない。

私は、これらの裁判で得られた大事な教訓が2点あると思う。

1つには、やはり一般市民に死刑判決を出させるのは、あまりにも心的負担が大きすぎて、人権侵害になるという事だ。やはり、裁判員制度と死刑制度は相容れない制度である。裁判員制度を続けるなら、死刑制度をこそ見直すべきであると感じる。

こちらの記事でも、
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20101102k0000m040091000c.html 
裁判員制度は昨年5月に始まったが、本格的に死刑適用が議論される事件の審理は、公判準備に時間をかけたため、制度開始後1年半を経て始まった。今回は死刑を回避したが、それでも裁判員は異口同音に精神的な疲労を漏らした。今後、実際に死刑選択の場面が来れば、裁判員の心のケアが深刻な課題になる可能性がある。

と、死刑判決での裁判員の負担の大きさを懸念し、

ほぼ順調に運営されてきた裁判員制度だが、死刑選択によって生じる現象が、開始3年後の見直し論議に反映される公算は大きい。

と、運用の見直しに言及している。

緊急には日本弁護士会が主張しているように、死刑判決は全員一致を原則とするなどの改正が必要だと思うが、やはり根本的には「死刑制度」そのものを問う議論が生まれないといけないと思う。それは、次の問題とも密接に絡んでいると思うからだ。

2つ目は、犯罪被害者への公的援助の問題だ。
 

裁判員たちは極刑を求める遺族感情を目の当たりにして苦悩したという。男性補充裁判員は「遺族の身になろうと努めたことに間違いない。こういう判決になったが、遺族の方には少しでも希望を持って生活をしていってほしい」と気遣った。



と、記事にも書かれているように、被害者家族のメンタル&経済的な補償は不可欠なんだけど、欧米に比べて日本の被害者補償は相当貧弱だと指摘されている。罪の責任を犯罪者にのみ被せ、我々の社会自身がそうした犯罪者を生み出したのだという社会的責任意識が薄いからだと思う。これは、究極の応報刑である死刑制度が残っていること、社会がそれを支持していることと表裏の関係にあると、自分はずっと感じている。

なぜなら、何人もの人を殺すような凶悪な犯罪者を生んだ責任を、犯罪者本人だけでなく、我々自身の社会の責任として捉えていたらならば、その犯罪者を死刑にしても何の解決にもならないことは明白であるし、被害者救済の充実を社会の責務として捉えられるだろうと思うから。

でも、この考え、自分には当たり前だと思うんだけど、なかなか賛同が得られないことは経験済み。
難しいね。

注目?の二中総が終わりましたね

2010年09月30日 17:06

共産党の敗北分析の続きです。

先日、共産党の第二回中央委員会総会が行われました。
あの参議院選挙の大敗北を、共産党自身がどのように総括するのか?が一部には注目を集めておりました。

その内容について思うことを述べてみたいと思います。

が、その前に前記事にコメントをくれ、敗北の原因は「天安」と反共だと主張していた東西南北さん、二中総の志位報告を読みましたか?あの長ーーーい報告のどこかに「反共」とか「天安」とかの文字はありましたか?
少なくとも共産党の総括は、東西南北さんの考えとは全く違っていましたね。

恐らく、東西さんは現場を知らないのでしょうね。
現場で頑張っている人たちの声を聞いていれば、問題はそんなところに無いことは肌で感じることが出来ます。

で、むしろ、私が指摘していた有権者の意識とのずれを問題としてあげておりました。
ですので、現状の問題点についての指摘は大きく外れてはいないと思います。

しかし、残念ながら、では、なぜそうした問題が発生したのか?その根本原因は何だったのか?といった本質的な分析はほとんどなされておらず、結局本質的なことは何も変わらなかったなと感じました。5千人もの人からの意見を聞いて、あの程度の上っ面な総括をしているようでは、今の減退傾向を反転出来るとはとても思えません。

そうした点をいくつか指摘したいと思います。

1.固定化した政策そのものが問われている。

共産党は、政策の方向は正しかったが、その訴え方がまずかったんだという総括をしていますが、それは違います。例えば消費税そのものに反対という政策に固執する姿勢に、すでに多くの国民がうんざりし、呆れているのです。共産党が福祉大国として国に参考にしろと迫っている諸外国は、いずれも消費税の比率は高い。にもかかわらず、そこだけは真似をするなという。それがダブルスタンダードであることを多くの国民は見抜いている。そうした疑問に応えた政策転換が求められると感じます。とりわけ、消費税反対なんて実現可能性のない政策を主張するのではなく、実現可能性の高い、食料品非課税などの逆進性緩和の政策実現をこそ、中心政策に据えるべきでしょう。

2.現実に政治を変えてくれるという期待を持たれていない

最初は、「是々非々」とか行っていたが、今や民主党批判のやり方は、かつての自民党へのそれとなんら変わっていない。菅と小沢とどっちも同じだとバッサリ切って自己満足はするが、その緻密さのなさが有権者には呆れられている。所詮、野党根性しかなく、何でも反対、反対ポーズをとるだけで満足する政党なんだね、と思われてしまっている。かつては、現実の政治を変えて来たことが強い支持と信頼を集めていた事を忘れてしまっているかのようだ。今、明日の生活にも苦しんでいる国民が求めているのは、清廉潔白で「私はいつも正しいです」と自分の取り巻きだけの中で直立不動で「正論」を述べる政党ではない。たとえ敵に取り入ってでも、あらゆる手段と方法で、一人でも多くの人を救うために地べたを這い蹲ってでも現実を少しでもましな方へ変えてくれる柔軟でしたたかな政党である。こうした視点での総括はまるでない。

3.根本原因への総括がない

「押し出しが弱かった」「結びつきが弱かった」「党勢が減っている」「高齢化が進んでいる」「機関が弱体化」などなど、いろいろ問題点は並び立てるが、なぜそうなったのか?という総括がほとんどない。なぜそれらの「自力」が弱体化してきているのか?その原因はどこにあるのか?の分析が徹底的に甘い・・・というか無い。だから、対処療法的な方策しか出てこない。

自分は、この根本原因は2つあると考えている。
1つは、共産党が変革の組織者となるという共産党として第一に追求しなければいけない仕事を疎かにしてきたことである。その原因には、中央委員会が実質的に党勢拡大にばかり重点を置くという間違いから生じている。
2中総報告でも、「国民との対話のなかで、「共産党は良いことをいうが力がない」という見方、声が少なくなかったという報告があります」としながらも、それは「党の押し出しが弱かった」とトンチンカンな総括をしてしまう。はっきり言ってそれは違う。本当に力がないのだ。実際に現実政治を変えてこれなかった。その実績を問われている。そこを真摯に反省できていない。

ところが、「だからこそ党勢を拡大して実力をつけないといけないのだ」と、赤旗と党員拡大こそが一番大事なんだという間違いを何年も続けてきた。しかし、赤旗や党員は、国民との結びつきのバロメータではあっても、それを増やすことが国民との結びつきを強めることになる訳じゃない。まさに、目的と手段をはき違えているのだ。逆に、国民との結びつきをこそ深め、強めてこそ、そのバロメータを増やす条件を作ることができるのである。2の指摘にも関連するが、国民との結びつき、国民の信頼を勝ち取るには、変革者として、変革の組織者として、国民の苦難を一つでも解決する実績をどれだけ積み重ねてきたかである。国政の問題だけではない、街角のカーブミラーや街灯の設置からしてそうだ。日本中の隅々で、「国民の苦難のあるところに共産党あり」と言われた活動を第一に追求し、国民からの信頼と結びつきを第一義的に築いてこなかった事が、結局国民との結びつきを弱め、その結果としてバロメーターである党員・読者が減り、自力を弱めてしまっているのである。種も蒔かず、肥料もやらずして刈りとりばかりを追求しても、痩せこけた土地からとれる収穫が改善するはずがないのである。

ここに気付かない限り、共産党の未来には展望はないだろう。しかし、残念ながら今回もそこへの反省は一切なかった。いつまで、手段と目的のはき違えを続けるつもりなのだろうか?志位さんがいつまで経っても気づけないのなら、他の人に頭を変えるべきだろうと思う。5千人からの提言には、この指摘は当然多数含まれていたはずだからだ。

もう一つの弱体化の原因は、組織運営の問題である。
これまで述べてきたような弱点は、私の知り合いの少なくない党員・支持者が持っている意見である。にもかかわらず、こうした末端の意見、中央委員会の方針に異を唱える意見が、中央の方針に影響を与えることはない。そういった意見を汲み上げられる自浄作用のある組織となっていないのである。それは、民主集中性の恣意的な運営がなされているからだと思っている。本来、民主集中性は、内部の民主的議論の徹底が生命線である。しかし、現在の共産党はそれを許していない。事実、中央と違う自らの意見を党内で広めようとする行為は、分派活動として禁止されてしまっている。規約には明確にそう書かれていないが、そのように恣意的に解釈して運用されているのが現状である。しかし、今回の問題のように、中央委員会の方針に異議がある場合には、内部で自らの意見を広めるしかそれを実現する手段はない。それは本来は徹底的に民主的な行為であるはずだが、共産党内部では分派活動として認められていない行為なのである。これは、中間機関がヒラメ機関に成り下がっている原因の一つでもあり、内部議論が一向に活発にならず、問題意識を持った人が、共産党に愛着をもちながらも、党機関に愛想を尽かして去っていくという構図をつくる要因となっている。

歴史的に見ても、宮本賢治氏は、当時の中央委員会と意見の異なるグループを作った。これが、分派活動として許されないのなら、宮本氏の行動は今は許されないはずである。みんなで決めた方針に反する行動を共産党を名乗って勝手にする事や、分党を画策するような行為は分派活動と言ってよいが、内部で自らの意見を広め、支持者を増やす行為すら認められない組織には、これまでみてきたように、自ら問題解決する活力と自浄能力を欠く結果を招くだろう。今、このときに委員長すら換えられない、なんら根本的な総括が出来ない事実が、この問題をくっきりと浮かび上がらせていると思う。

まだまだ指摘した点はありますが、とりあえずこれまでとします。
以上、厳しい批判をしてきましたが、それは、共産党がまともになってくれないと我々が困るからです。日本中の各所で、地道に、誠実に頑張っている多くの党員・支持者がいることを知っているからこそ、彼らがのびのびと本来の力を発揮できる組織に共産党が生まれ変わってくれれば、日本が生まれ変わる可能性を信じているからです。

しかし、今の共産党のまま、いくら期待しても裏切ることしかしない組織なら、早く潰れて亡くなった方が国民のためではないか?とすら最近は思うようになっています。今回の2中総を見て、この思いを強くせざるを得なかったのは、本当に、本当に残念です。



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