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科学と科学ではないもの

2011年10月05日 12:14

科学&共産党ネタです。

先日、光文社新書の『もうダマされないための「科学」講義』という本を買って読み始めました。
阪大の菊地誠さん他の共著で、科学とは何か、科学と哲学、報道との関係などのの解説があります。とりわけ、3・11以後問題となった科学コミュニケーションの問題、科学デマの問題など、大変分かりやすく書かれていて、この問題に関心のある方には必読の本だと感じます。

で、なぜこれが共産党と関係するか?ですが、私が10年以上一貫して間違いだと主張してきた共産党の方針が、非科学であることを菊地誠さんが分かりやすく解説してくれていたからです。

第一章の「科学と科学ではないもの」の中で、練習問題として、中学生のテスト結果と朝食を摂る頻度の比較をした図(文科省作成のもの)を示されていて、この2つに綺麗な相関関係があることがわかります。そこで、朝食を摂るようにすれば、成績がアップするのでしょうか?という問いが発せられています。

で、これはそうではないのですね。生活態度や家庭環境が朝食の有無に表れていると考えるのが自然で、だとすると、朝食をよく摂る生徒は勉強も良くしているという事は十分にあり得るわけです。結局、よく勉強する子供は、勉強もできるし、朝食もきちんと摂るという事です。だから、朝食を摂るようにしても、勉強するようにならなければ成績アップは望めません。

つまり、朝食と成績には相関関係はあるが、「因果関係」は無いという事です。

これと全く同じ間違いをしているのが、いつの間にか消えた機関紙130%増の目標に始まり、この10年以上こればっかりと言ってもいいぐらいやっている「赤旗拡大」を最優先する方針です。この震災問題が焦眉の今この時でさえ、特別月間とかいう「赤旗と党員を増やせ!」にほぼ全勢力をつぎ込んでいます。

根拠は、国政選挙での共産党の基礎票は、赤旗新聞の約2倍であるという試算から来ているようです。

確かに、得票数と機関紙部数には相関関係はあります。
では、そこに「因果関係」はあるのでしょうか?
赤旗の購読数が増えれば、その2倍の票が増えるのでしょうか?

はっきり言って、それはありません。
赤旗の購読数も、得票数も、どれだけ共産党が国民から支持され、期待されているかのバロメーターに過ぎないからです。
成績と朝食の関係と同じなんですね。
単に赤旗の購読数だけを必死に増やして一時的に嵩上げをしたとしても、そもそもの支持が増えなければ得票も増えません。逆に、押し売りのように強引に購読をさせて嫌われたら、得票は減ってしまう可能性すらあります。

得票を増やすには、「共産党は良いこと、大事なことを、地道によく頑張っている」と国民に注目してもらい、支持してもらえる活動こそが一番大事なのです。

ですから、この緊急時に、拡大月間なんぞやっていては話になりません。
もしやるなら、「被災地応援・支援」月間でしょう。
「やっぱり困ったときは共産党だ」「弱者の気持ちが分かるのは共産党だ」という活動を全国で展開することこそが今まさに必要なのです。

阪神大震災後の被災地の全ての選挙で共産党が大躍進したのは、共産党が支援活動を必死でやっていたのを皆知っていた、そこへの強い信頼と感謝の気持ちが高まっていたからです。赤旗が増えたからじゃない。

この相関と因果を取り違える間違いを10年以上も正せないようでは、「科学の党」を語る資格はないでしょうね。

原発問題の科学検証シリーズ(2) 野呂美加氏

2011年08月23日 11:33

2回目は、「チェルノブイリのかけはし」という団体を率いている野呂美加さんを取り上げようと調べ直していたら、ちょうどきくまこ先生が書いてくれていたのに気がついたのでこちらをご参照ください。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1314034425

自分も野呂氏の善意を疑うわけじゃないが、その主張の非科学度はあまりにも酷いので知っておくべきだろう。

えっ?それじゃ手抜きだって?
はい、その通りです。(笑
ただ、追記すべき事に気がついたら、また書くかもしれません。

原発問題の科学検証シリーズ(1) 矢ヶ崎克馬氏

2011年08月22日 13:02

福島原発事故以来、反原発運動の中の非科学的主張の横行には呆れるばかりで、それは今もずっと続いている...というか、むしろ酷くなるばかり…

広瀬隆氏のような問題外もいるが、今回から色々な人の放射線被害に関する主張を科学的に検証してみたいと思う。遅かりしの感もあるが、こんなトンデモ主張ばかりを野放しにしておいたのでは、私が望む脱原発すら危うくなるという危機感が頂点に達したからであることをご理解ください。

第一回目は、内部被曝問題ではよく引き合いに出される琉球大学の矢ケ崎克馬名誉教授の非科学的主張を指摘しておく。

題材は、以下の「内部被曝についての考察」という論文。
http://www.cadu-jp.org/data/yagasaki-file01.pdf

まず、ICRPのモデルについて、「吸収線量を、被曝した微小領域で本来規定すべきであるが、臓器当たりの平均量で評価することを基準とすると宣言していて、この方法は内部被曝を科学的に評価できるものでは無く、恐ろしく過小評価するものだ」としている。

その根拠として、内部被曝で特に問題になるα線とβ線の電離モデルと、主に外部被曝で問題となるγ線の電離モデルを示している。

そして、そこではγ線による電離は分散型で、α、β線の電離のように連続した原子がイオン化されることがないかのような解説が絵付きでなされている。

正直これを見たときはびっくり仰天した。
γ線がどのようにして被曝を引き起こすのかをまるで理解できていないからだ。
今回福島で問題となっている核種が出すエネルギーのγ線であれば、ほとんどが光電効果とコンプトン効果によって高速の電子を弾き飛ばす。つまり、γ線自体が電離を引き起こすのではなく、はじき飛ばされた高速の電子が2次的にその軌跡の原子を励起・電離させるのである。

で、β線も高速の電子である。
同じ電子線なのだから、そのエネルギー(速度)が同じであれば、その影響も全く同じである。

つまり、β崩壊で生まれた0.5MeVのβ線と、γ線由来の0.5MeVの光電子線とは、それ自体の励起・電離作用は
全く同じである。

光電効果: γ線のエネルギーとほぼ同じエネルギーの電子線(β線)を発生させる。
コンプトン効果: γ線のエネルギーを、電子線(β線)とγ線(エネルギーが減る)とに分割する。
#なお、今回は電子対生成についての考察は省略している

この辺りの話は、あまりにも基礎の話で、こんなレベルで間違っていたのでは話にならない。
もっときちんとした話をお知りになりたい方は、反原発で有名な安斎育郎氏の著作を参照されたい。

矢ケ崎氏の内部被曝が恐ろしいという主張のベースは、こんな超基礎から間違っている。
こんなトンデモ科学を根拠に考察を進めても、まともな考察ができようはずがない。

どうも矢ケ崎氏は、α線、β線の内部被曝は同様の重大な危険性を持っていると考えているようだ。
しかし、既に述べたように同じエネルギーを吸収した場合には、β線とγ線では、同じ電子線による被曝なので基本的に同じである。
逆に、ICRPは、α線の被曝こそが、β線やγ線よりも同じエネルギー吸収でもずっと危険(20倍危険)だとのモデルを採用している。

どちらが科学的かは明らかである。

なお、内部被曝が外部被曝と同じだなどと言っているのではない。
α線、β線核種は内部被曝でのみ問題となり、体内で崩壊すれば確実に被曝してしまうので、それをなるだけ取り込まないように注意を払うのは当然。
また、ヨウ素131のように特定の臓器に集中する核種は、それだけその組織の被曝密度が高くなるので要注意である。
しかし、全身に散らばるK40のような核種でのβ線被曝は、それと同じエネルギーをγ線被曝によって受けたのと、励起・電離の影響だけを見ればほとんど同じはずである。

で、ICRPは核種別に、生体内での経路や振る舞いを考慮した内部被曝計算モデルを採用している。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001cyyt-att/2r9852000001cz7c.pdf

矢ケ崎氏が、どこまでこれを理解してICRP批判をしているのか?はなはだ疑問である。

さらに矢ケ崎氏の論文では、氏の考察を裏付ける根拠として、「アメリカにおける原子力発電による低線量被曝」の研究として、LEUREN MORET氏らの調査を紹介している。
で、この人は、あの地震は人工地震だ!と主張しているトンデモさんである。
http://jmatome.blog39.fc2.com/blog-entry-205.html

よって、このRPHPによる「アメリカにおける原子力発電による低線量被曝」報告にも、眉に唾をつけながら見ざるを得ないだろう。

広瀬隆氏と山下俊一氏

2011年07月09日 23:58

広瀬隆氏が山下俊一氏を告訴すると発表したらしい。

放射線に効くという味噌の詐欺まがい販売の次は、こんな売名行為かと呆れるが、これは逆に面白いと思う。
実際、広瀬氏が山下氏に科学リテラシーで勝てそうな点はただの一つも、かけらすらも見当たらない。

だから、法廷の場でどんな恥をさらすのか?
できれば傍聴してみたいな。

<追記>
どうやら、検察に告発するだけで自分で裁判をする気はないようです。
やっぱり単なる売名行為か?

ボランティアの立ち位置

2011年04月26日 10:26

ボランティアの立ち位置

「何もやることがねえ。すると余計なことを考えてしまうんだよな」と、釜石市のある地区の住民は、やや投げやりな様子で語った。

三陸沿岸部を南北に貫く国道45号線から太平洋に突き出した「半島」に分け入ると、まだまだガレキ撤去の進んでいない地域がある。道路脇に積み上げられたガレキをよけながら進んでいくと、津波に洗われたガレキ群の奥の坂の上に、無事だった民家が立ち並ぶエリアに入る。

その地区の住民たちで津波を逃れた40人が、震災の日、地元で漁師をする一軒の民家で一夜を過ごした。そこは炊き出し拠点となり、自衛隊が到着するまでの一週間、何も届かない中、住民たちは自力で生き延びた。

その一週間、住民たちは朝8時に皆で朝食をとった後、ガレキ撤去に携わり、40体の遺体を発見して、半壊したお寺の本堂に安置した。子どもが不憫だと、母親を亡くした父子家庭のためにバラックを建設もした。水道も電気も通らない中、流れ着いた風呂桶を活用した露天風呂を自前で造った。「(震災前は)むしろ、まとまりがなかった」と振り返る住民たちが結束して、窮地をしのいだ。

それから一ヶ月。救援物資が届くようになり、食事は安定した。毎日、自衛隊がガレキ撤去を進めてもいる。まだその家からは何百メートルも手前だが、たしかに少しずつ、きれいになっている。各家庭に湧き水を引っ張るパイプも通して、洗い物ができるようになった。電気もあと数日で届く。

緊急の段階は脱しつつある。しかし、住民たちの顔は浮かない。それが冒頭の一言に集約されていた。やることがない・・・。

毎日、船で海に出ることがあたりまえだった人たちが、漁に出られなくなる。重機はなく、自衛隊のガレキ撤去を見ているしかない。子どもとその親たちは、学校に通える市内の避難所に転居する。市内の建設業者がガレキ撤去を請け負った、再開発を見込んで浸水しなかった地域の地価が急騰している、という話を聞きながら、残された者たちは、焚き火を囲んで、ときどき開かれる漁業組合の会合に顔を出すが、必ずしも展望のある話が出るわけでもない。生き延びるために必死で毎日を生きているときには考えなかった、将来へのさまざまな不安が首をもたげてくる。「(子供がいなくなるってことは)誰もいなくなるってことだよ」――炊き出し拠点になっている家の主は、地区の将来をそう悲観した。 「ダンプ一台でもあれば、自分たちで片付けるんだけどな。ここに住んでいる地元の人間なんだから、一番きれいにしてみせるんだがな・・・」。急性期が終息しつつある中で、現実の生活課題が急速に頭をもたげてきている。

役割(仕事、やること)を奪われた人間は辛い。漁に出られなくなった漁師、重機やダンプがなく、自分たちで片づけが進められない住民、消防車を失った消防団は、自分たちの役割喪失に深刻に直面する。

もちろん、人生(生活)は役割(仕事)だけではない。「仕事を失っても人生があるじゃないか」と言う人もいるだろう。それは間違いではない。しかし、決定的なのは順番だ。不本意に役割(仕事)を失って深い喪失感に襲われてしまった人たちに対して、その後で、その言葉をかけても慰めにはならない。役割(仕事)を失う前に、仕事という役割を持ちながら、徐々に生活にも役割を見出し、役割喪失に直面しないまま、一つの役割から他の役割へと役割移行をしていけるならば、「そういう考え方もある」と受け入れられるかもしれない。後か前か、そこには均質な時間軸に還元できない質的な違いがある。

だからこそ、深い役割喪失感に襲われている人たちに対しては、役割を提供する必要がある。それは被災者自身によるボランティア活動を始めとして様々な形態を取りうるが、端的には「被災者雇用」という形を取るだろう。政府は4月5日、「『日本はひとつ』しごとプロジェクト」を発表し、その中で、①ガレキ撤去における地域の建設業者の受注確保推進、②被災した離職者を対象にした雇入れ助成金、③重点分野雇用創造事業における被災者雇用のメニュー(「震災対応分野」の追加)を決めた。特に③については、支援物資の仕分け・整理・梱包・配送、被災者宅の戸別訪問による安否確認など、これまで自衛隊やボランティアによって担われていた多様な分野を雇用で行えることが例示されている。自治体がメニューを活用して、地元雇用を推進することが期待される。

岩手県各地を回る中で「若いあんちゃんが、家を流され、仕事も失い、何もすることがなく、ただ炊出しを食っているだけというのはよくない」という言葉を何度も聞いた。地元の人たちは皆、心配している。それは「大変な被災者の人たちのために、自分も何かしたい」と、もどかしさを募らせる被災地外の思いとは、重なりながらも、場合によってはずれる部分もある。

外からのボランティア(支援)は、いつか去る。そのときに、地元にたくさんの役割が残っているのが良いボランティア(支援)だろう。地元にたくさんの役割(雇用)が残るボランティア(支援)をしたい。その意味で、ボランティア(支援)には、被災者・被災者コミュニティに対して、「下から、後ろから」という立ち位置を取るべきだと思う。

今回、失業した被災者は多い。その人たちの「自助」を引き出す「共助(ボランティア/支えあい)」「公助(公的雇用)」が望まれる。その意味で、「自助」と「公助」は対立するものではない。

やや投げやりだった冒頭の彼が、「しょうがねえ。やるしかねえ」と言いながら、役割と張り合いをもって日々の課題に立ち向かう日が戻ることを願っている。



以上は、内閣官房震災ボランティア連携室の室長として奮闘している湯浅誠氏の言葉です。
流石に、大事なことがよく分かっていらっしゃる。

こちらの「助け合いジャパン」のサイトには、ボランティアをする上で大事な情報が沢山掲載されています。

この連休にボランティアを考えているが、どこに連絡したら良いのかが分からない方などには、とても参考になると思います。



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