--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

謹賀新年

2010年01月01日 09:08

皆様、明けましておめでとうございます。

思いもかけない行きがかりから始めることになってしまったこのブログですが、これまた思いもかけない沢山の皆様のお越しと拍手を頂き驚くばかりでした。

とはいえ、大半の方が反T軍団ネタのためである事は分かっておりましたが、予想以上にTさん達が読者からは見放されているという事は良く分かりました。ガイヤルドさんもご苦労様でした。最近は、アクセスも落ち着いてきて、本来の数に近づきつつあるようです。

そのTさんがいくつもの沢山のデマ発言を放置したまま突如だんまりに入ってから、もうすぐ1カ月となります。予想通りに元仲間を次々と敵認定して切り捨てて行き、とうとう自滅してしまったわけですが、今は、なぜそうなってしまったのかをご自分でよく考えて再出発してくれる事を願うだけです。

昨年は、リアルでもネット上でも「違い」を前提として「認め合う事」について考え続けてきたように思います。
上手くいった事、失敗した事いろいろありましたが、色々と教訓を得られたように感じます。
特に神戸市長選挙では、「違いを認められない人」たちとの闘いの日々でしたし、リアルでは今でもその闘いは続いています。

例えば神戸市長選挙の際に、共産党などからは「井坂市議が選対を動かしているからダメだ」「首長連合や橋下大阪府知事に応援を求めたからダメだ」「藤原和博氏が応援しているからダメだ」などと樫野陣営を排除し、一方的に独自候補を擁立してしまいました。

一方、樫野選対も、民主党に推薦を求めたり、自公の市議に接触しておきながら、市民派を標榜するには再生や新社会の色が付くのはマイナスになると必死に隠そうと策動しました。

これらは私から見れば、市民感覚を欠き、違いを認め合えない「排除の論理」という点では全くの同罪でした。

共産党兵庫県委員会は、その総括文書で樫野陣営の「排除の論理」を批判しているようですが、自ら大々的に展開した「排除の論理」には何の反省もしていません。それでいて「排除の論理」を一切取らず、左からも右からも足を引っ張られながらも、なんとか市民が願う市政転換を実現しようとライトからレフトまでの共闘を追求し続け、奮闘した再生フォーラムを口汚く攻撃するのですから、心底呆れるしかありません。

「違いを認められない」「自分たちだけが正しい」という人達こそが、原水禁運動や護憲運動などを分裂させ、運動を壊してきた歴史に学ぶべきであろうと思うのですが、こういう方たちは、そうした運動を壊してきた自覚がなく、自分たちの「正義」に何の疑いも持っていませんから本当に厄介です。

今年も、この問題にとことんこだわり続け、「排除の論理」を超えた共闘について考え続けていきたいと思います。
この間のオバマ大統領に関する議論にも臓器移植問題にも、同じ問題が根っこには横たわっているように私は感じますのでね。

では、皆様、本年もどうぞよろしくお願いします。<(_ _)>
スポンサーサイト



上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。