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オバマ氏のノーベル賞受賞演説

2009年12月17日 19:21

オバマ氏のノーベル賞受賞演説について、とくに左翼側から厳しい批判が送られているようだ。

私も世間では一応左翼の端くれにカテゴライズされるようなので、オバマ氏がどんなとんでもないことを言ったのだろうと、注意深く全文読ませていただいた。確かに、これはちょっと・・・と思わせる点もあったが、全体として、今オバマ氏が直面している問題、理想と現実のジレンマから逃げることなく、自分がすべきこと、出来ること、我々が目指すべきことを誠実に、正直に語っていると、むしろ大変好感を持った。

うーーん、こりゃ自分は左翼じゃないのかもしれない・・・

でも、「超左翼」を標榜する松竹さんも、私と似たような評価をしているようなので、私一人ではなさそうだ。

参考までに、日本語訳の全文はこちら

原文は、こちらで読めます。

批判の多くは、オバマ氏がJust war (「正義の戦争」とか「大儀ある戦争」と訳されているが、ちょっとな~)を「正当化」した。
ブッシュと同じじゃないか、というものである。
なお、「Just war」については別に論じたいと思う。

で、確かに以下だけ抜き出せば、そうとれる。

 しかし、世界は思い出さなければならない。第2次大戦後の安定をもたらしたのは国際機関や条約、宣言だけではない。いかに過ちを犯したとしても、その国民の血と力で60年以上にわたり、世界の安全保障を支えてきたのは米国なのだ。われわれの男性、女性兵士らの献身と犠牲が、ドイツから韓国までに平和と繁栄をもたらし、バルカンに民主主義を打ち立てることを可能にしたのだ。われわれは自分たちの意思に従わせるために、この重荷を背負ったわけではない。自分たちの利益のために、そうしたのだ。子や孫たちのより良い未来のために、そうしたのだ。他の国の子供や孫たちが自由と繁栄の中で生きることができれば、彼らの生活もより良いものになると信じているのだ。

米国の戦後の覇権主義的行動を正当化しているとね。
確かにその通りで、それだけでしか言ってなかったら、私も全面批判したかもしれない。
しかし、彼が例として出したドイツ、韓国、バルカン半島の事例は、米国が自ら起こした戦争じゃない。
むろん、それらの介入が適切であったかどうかという評価は分かれるだろうが、米国自ら侵略者として起こした戦争まで「正当化」しようとしているというのは、ちと早合点だろうと思う。
しかも、その次でこう述べている。

そう、平和を維持する上で、戦争という手段にも果たす役割があるのだ。ただ、この事実は、いかに正当化されようとも戦争は確実に人間に悲劇をもたらすという、もう一つの事実とともに考えられなければならない。兵士の勇気と犠牲は栄光に満ち、祖国や大義、共に戦う仲間への献身の現れでもある。しかし、戦争自体は決して輝かしいものではない。決してそんなふうに持ち上げてはならない。

必要悪としての「止むを得ない戦争」と言うものは現に不幸にも存在する。しかし、それをいくら「正当化」しても、戦争はやはり「悪」なのだと述べている。「戦争」かどうかに関わらず、平和構築のために、他国による軍事介入が必要な事例は、たしかに過去にも存在したし、これからも起きるだろう。

その上で、そうした現実の社会での「実際的なステップ」について論じている。
これは、一種の「平和学」の範疇なのだろう。
そこが、世界の大国の大統領として、戦時下にある指導者として、単なる「平和主義者」ではいられないことの意味なのだと思う。

その具体的方策として3つあげている。

まず最初に、規則や法を破る国と立ち向かう際に、態度を改めさせるのに十分なほどに強い、暴力に代わる選択肢を持たなければならないと私は信じている。なぜなら、永続的な平和を望むなら、国際社会の言葉は何らかの意味を持たなければならないからだ。規則を破るような政治体制には責任を負わせねばならない。制裁は実質的な効果がなければならない。非協力的な態度には圧力を強めなければならない。そうした圧力は世界が一つになって立ち上がったときにのみ、成り立つのだ。

つまり、武力の代替となる強い仕組みの必要性だ。とりわけ、国連などを中心とした一致した非暴力的な手段での圧力の必要性を強調している。これは、日本国憲法前文と憲法九条の考えと一致している。

 これは第2の点につながる。われわれが求める平和の本質についてだ。平和は目に見える紛争状態がないということだけではない。すべての人々が生まれながらに持つ人権と尊厳に基づく平和だけが、真に永続することができる。

 

 第3に、市民の権利や政治的な権利があるだけでは公正な平和とはいえない。経済的な安定と機会が保障されなければならない。なぜなら真の平和は恐怖からだけではなく、貧困からの解放でもあるからだ。

これらは、基本的に日本国憲法前文の平和的生存権と同じ内容である。
アメリカ合衆国大統領からこの言葉が聞ける時代が来るとは、正直想像していなかった。

どうでしょう?
少し見方が変わって来ませんか?

私には、オバマ氏がイラク戦争のような「覇権主義的戦争」を肯定しているとは、とても読めない。

むしろ、

我々人類は、武力に頼らないと「平和」を維持できない現実を持つレベルにある。
戦争を完全に防げない未熟な段階にある。
それを、私たちはまず直視しないといけない。
その上で、そこから人類が前に進む現実的な道は何なのか?

を示そうとした演説だったように思うのです。

そして、その道は、日本国憲法の掲げる道であると、オバマ氏は言っているように私には思えたんだけど、皆さんはいかが?

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